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今日1日

一昨日、最後の勤務だった。昨日は1日何もしなかった。今日は、送別会に誘われていたけれど,出かける予定があるので、断った。

今から姑をディケアに出して、買いものに行く。日曜日まで出かけるつもりなので,その間の食事の用意をしておかなくてはならない。夫はなんでも食べるのだけれど,姑は2食続けて同じものを食べたがらない。この間出かけたときはカレーを作っておいたのだが,姑が食べないので閉口したらしい。「今回はカレーよりシチューがいいかなあ」と夫が言っていたけれど,どちらにしてもあまり変わらないと思う。魚が好きだと,刺身や焼き魚も良いのだが,姑は魚は一切食べない。肉は牛肉中心、野菜も好まない。卵とか、ヒレカツなら食べる。好きなものだけを食べるので,最近は大人3人の食卓なのに,一人分ずつ分けてよそっている。

この間,夫が飲み会の時に、野菜の卵とじをした。二人分だけだからと大皿に盛りつけた。すると、上手に野菜の下から卵の固まりを見つけて,それだけを取り出して食べていた。やられたと思った。

買いものに行ったら,適当に見繕って冷蔵庫の中にいろいろな物を入れておくことにしよう。夫は、料理はしない。最近,私が胃が悪いので料理をしないと野菜がどんどん傷む。姑はイモ類は好きなので,ポテトサラダを作っておこうかなあ。

お出かけは別宅である。この間産まれた虎次郎の子供には会えるかなあ。明日の午前中が別宅の総会(町内会のようなもの)なので、1年に1回だけど,出席することにしている。27棟あるマンションだが、住んでいないので住民として何もしていない。ゴミの当番や周囲の清掃奉仕なども協力していないので,せめて総会にだけは顔を出しておこうと思っているのだ。

私が出かけるときには,夫が,姑を見てくれている。週末一人で出かけるのだが、一緒に出かけると虎次郎や孫にも会えるなあと思う。でも、あと1年だ。夫が定年退職するまではこの生活だろうなあ。でも夫も退職したら,きっとゆっくり一緒に出かけたいこともあるだろうと少しずつショートスティの予約をしている。でも、嫁が家にいるのになんで私が出かけるの?という顔をするので、実際はキャンセルすることが多い。姑は家にいるのが一番良いのだ。それがよく分かるだけに,嫁としては,あまり出すことは出来ない。

ケアマネージャーさんは私のことを心配して,「ディをもっと利用したら良いんですよ。」と言ってくれるが,10時から3時までのディは、行ったらすぐに帰るし、出すのが大変なのだ。最近は,自分で着替えるのが大変なのだ。何を着るのか分からないことも多い。もちろん、荷物など全く気にしないで,私が準備するのを待っている。10時から出かけても、少し家事をしていたららすぐにお昼だ。実家の母の施設に行く時間もない。専業主婦としては,夕食の手抜きをするわけにはいかないので、これも時間がかかる。午後は買いものに行くだけで3時になる。

やっと退職したのだから,これからは自分の時間を使う工夫をしたい。


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退職 [老いに向かって]

退職をしたのは何も今回が初めてではない。前回,常勤を退職したときは,どんな気持ちだったのだろうか。仕事が来るまでの2ヶ月間はホッとして,毎日毎日、後片付けをして,ゴミをたくさん出していたのを覚えている。その後7年間,次々と非常勤の仕事が舞い込んできた。でも、もう今度は引き受けない決心でいる。

ここ数年,もうしないもうしないと言っていたのに、無理に頼まれてしまった。引き受ける私も私だ。去年は最初は後悔するほどの初任者の指導だったが、今年,夫が市教委から感謝されたと聞いてとても嬉しかった。「奥さんの指導のおかげです。昨年,教委でもあの子はつとまらないんじゃないかと心配していたのですが,今年は全く問題なく仕事をしています。」

その前の年は,支援員を頼まれた。一般的に、支援員は未経験者で主婦だったような人が多いので,ちょっと手伝いをするだけの仕事ぶりだったから,気楽に引き受けた。ところが、相手は上手だった。私が経験者であることを利用して、未経験の講師などのクラスに次々と回された。要するに、担任そのものも指導して欲しいと言うことだ。最初に行った未経験の特別支援学級では、勤めたことを後悔したくらいだった。

でも、複数のクラスの指導を任されていたので、1月にはどこも落ち着き,私はどこにいても良いような自由な身となっていた。そして私は良く図書館に行っていた。

今年は,図書館の仕事を個人的に頼まれた。市教委は、「いつもいつも無理を言って済みません」と、私が行くと全員が起立をして挨拶をしてくれた。でも、この仕事は本が好きなので,苦にならなかった。最後のプレゼントかと思ったくらいだ。

年金もまだもらえない無収入の私が、マンションの管理費等を払っているのが正直重荷だった。出来ることなら,マンションの管理費を夫に頼みたくはなかった。それでも,今年のパートのおかげで,年金まで管理費の払えるメドがついたのは有難い。

マンション、有難い。先日,友人は、「あのときは、ついにあんたという嫁が反旗を翻したと思ったわ。それまでのあんたの処遇は、私から見てもおかしかったもの」と言った。そうなのだ,女は離婚しても生きるすべもないのだ。慰謝料をもらって住みかを確保すれば良いのだが,そんな関係でもない。我が家は私も夫と同じ給料をもらってローンを支払ったのだけれど,ここ数ヶ月前までは、ずっと小姑の口出しに悩まされて何十年も生活をしていた。最近,夫が,合い鍵事件など,見かねて強く言ったせいか,ピタリと来なくなったのでホッとしている。小姑がもう、代が変わったことを理解したのかも知れない。 

私名義のマンションは夫も利用しているけれど,小姑に支配されない私の空間だと思うと,あるだけでも嬉しい。さあ,今日からは私の時代だ。まだ姑の介護があるのでマンションに行くことは出来ないけれど,最近小姑が来なくなって、ずいぶん開放感を味わっている。


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食事を抜いた [介護]

 昨年末から胃の調子が悪くて吐血したので、ようやく病院に行ったら胃潰瘍と診断された。ずいぶん治ったのだけれど、ときどき吐き気がしたりしてすぐに具合が悪くなる。

 火曜日のことだった。この日は姑も私も家にいたのだが、私はこの日は胃の調子がとても悪かった。朝食は知らん顔をして食べなかった。夫は知っていたけれど、何も言わなかった。午前中歯医者へ行った後、姑の昼食の準備をしようとしたが、吐き気がして、どうしても昼食の用意をする気になれなかった。それで、パンやバナナなどをテーブルの上に出しておいた。姑はぐっすりと眠っていたので、私もそのまま2階にあがって休んでしまった。

 夕食の準備はどうやら出来た。私はあまり食べなかったけれど、ほんの少しだけ食べた。姑は何も言わなかった。今思うと、自分で食べたかどうか自信がなかったらしい。

 次の日、水曜日の夕方、まだ夫が帰宅していないときに、姑が珍しく「ととめちゃん、ご飯を食べようか」と言ったので、びっくりした。今までは食事になるとこっちが呼びに行くまで寝ていたのだから。姑からご飯の催促があったのは初めてなのだ。

 さらに木曜日、午前中に臨時の仕事が入って出勤し、午後は帰宅が12時半になった。姑は待っていたらしい。一緒に昼食を食べた。

 そして金曜日の今日、夜は夫が送別会で飲み会だったので、姑と二人で夕食を食べていた。すると、姑は突然言った。「昨日のお昼食べんかった」と。昨日のお昼が遅くて待っていたからだろうか。それとも、心のどこかに火曜日のお昼を食べなかったことが残っていたのだろうか。悪かったけれど、私も辛いときがある。

 ケアマネージャーさんはよく言う。「認知症の介護は、ときとして、介護する側の方が参ることが多いのですよ。頑張らないで、自分の体を大切にしてくださいね」と。しかし、このようなことがあると辛い。本当に認知症の介護は、自分の中の自己嫌悪との戦いでもある。悪気はないけれど、全く相手のことを考えることは出来ず、自分がしてもらうことが当然だと思っている認知症の人に対して、体調の悪いときなどは辛いこともある。きちんとしてあげられなかった自分を責めてしまうことがよくある。

 本当に介護は肉体的な負担より精神的な負担が大きいような気がする。 

 


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私の時代 [小姑]

 仕事をしているときは感じなかったイライラを、退職してからはあちこちで感じていた。そう言えばと昔のことまで思い当たってストレスがたまった。私はこの家の主婦なのに、小姑が我が物顔で家の中を自由にしていたのだった。

 最近は、夫も、私の気持ちを理解してくれて、何度となく小姑に言ってくれた。そして・・・・小姑はぴたりと来なくなった。おそらく、代が変わったことをようやく自覚したのだろうと思う。私が退職したからには、この家は姑と小姑の家ではなくて、私の家なのだ。小姑もいつまでも姑が居るから我が家を実家として自分の家のように出入りする元気もなくなったのかも知れない。なぜなら、もうすでに姑は認知症になっているからだ。小姑はまた、自分の子供や孫のことの方が姑のことより気にかかることでもあるだろう。

 と言うわけで、ようやく我が家は小姑の介入から離れることが出来た。土地の問題は、解決していないけれど、いざとなれば、我が家にはマンションがある。土地の問題については1度こちらから隣の土地を購入したいと申し出て断られたので、ずっとこのままで行くことにする。

 来年、あと1年、私は今の家を整理して、マンションを充実させることを楽しみに生活することにする。それと申し込んだ趣味の通信教育を、パートタイマーの仕事が来てから停止していたので、これも何とかやり遂げたい。入所している実家の母にも時々会いに行きたい。畑の土地はないものの、母のところに行ったら、姉のところまで足を伸ばして、おしゃべりをしながら姉の畑仕事を手伝いたい。あと5日でパートから解放される。

 現実には思うほど自分の時間はとれないだろうと思う。退職をしたときそうだった。でも、少しでも自分の時間を過ごせると思うとわくわくする。

 退職して以来の私の楽しみの一つに料理がある。ちょっと時間をかけて手の込んだ料理をしてみたり、保存食や常備菜、漬け物などをよく自分で作った。台所に立つ時間は働いている頃よりずっと長くなった。料理もかなり創造意欲をかき立ててくれる。私にとっては、自分らしさが生かせる時間でもある気がする。 これから、そんな時間を少しでも多く持てたらと思う。


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あと少し [老いに向かって]

 あと少しで私は完全退職となる。早期退職した私は年金はもらえないし給料ももらえないしという悲しい生活をしていた。しかし、ちょっとした資格などのおかげでパートの仕事が舞い込んできた。それでようやくいろいろとぎりぎりで人生をまかなうことが出来た。

 あと少し・・・・・・・・・・・・ 人生の黄昏というか、林住期と言うか、第二の人生というか・・・

それにしても先は全く見えない。夫が後1年を必死で乗り越えて、次のステージに上るのを待っている。


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働く [介護]

 結局早期退職したものの、その後ずっと週3日勤務のパートの仕事をしていた。夫の定年まであと1年。週3日というのは、姑のディが週3日のせいもある。4月からは姑のディの日は私の時間となる。

 でも今年の仕事は本心をいうと助かった。同じ職場に私と同じ時給なのに授業をしている支援員さんがいる。おそらく内緒で使っているのだろう。不登校の教師がいるから、背に腹は替えられないのが現状だと思う。それを考えると私はある日突然司書の資格を取ったことで救われた気がする。

 助かった理由の一つは仕事の内容が良かっただけでなく経済的にだ。実は私は本当に一文無しだったのだ。マンション購入にすべてのお金を使い果たしてしまった。そして、年金が当たるまでに、マンションの管理費が払えるかどうかということまではらはらしていたのだ。いざとなったときに頼み込めば、夫は払ってくれるだろう。だけど、夫の承諾を得ないで契約したのは、かなり気が引けた。今年のパートのおかげで、マンションの管理費に関しては夫に負担をかけることはなくなったと思う。

 以前、夫とこの系列のマンションを見学に来たことはあるのだが、地理的に車でなくても来られることが一番に気に入った。そして、私を待っていたような、前日のキャンセル。しかし私の中では、夫の承諾を得ずに決めたことはかなりの負い目でもあった。でも、そのときを逃すわけには行かないと思ったのも事実だ。今、そのことを黙って受け入れてくれる夫に、私は心から感謝している。

 介護も大変といえば大変だけれど、家族なのだからお互い様なのだ。いつか行く道なのだ。今、心を込めて介護をしていれば、自分は少しでも迷惑をかけないかなあなんて願望。


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シャンプー [介護]

 昨日姑が脳波の検査をした際に、髪に油っぽいものを塗ったらしい。それで髪がべとべとしていると言った。今思えば私にシャンプーをして欲しかったらしい。

 姑は月曜日と水曜日に入浴させてもらっているが、家では数年間、ずっと入浴していない。でも、自分で何とか出来るはずなのだ。それで、私は温かくしておいて入浴することを勧めた。「手伝いますから、お風呂に入りませんか?」姑は「いや、明日の昼洗面所で頭を洗うわ」と言った。

 今日は頭のことをすっかりと忘れている様子だ。本人が気にならないのなら、月曜日はディで入浴できるのでそれでも良いかと私は黙ってみている。その気があるのなら手伝おうと。でも、昼食時点で全くその動きはない。たぶん、もう頭を洗わないと思う。私から声を語るべきなのかどうか、今迷っている。

 私は何もしていないのになんだか疲れる。姑は私を全面的に信頼して頼っているのは、ある意味幸せなはずなのだが。この言葉に表せない疲労感は何なんだろう。

 


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2010-03-12 [介護]

 舅夫婦や小姑との関係については、働いているときは何も気にならなかったのに、いざ自分が女主人となったら疑問に思うことがいくつもあった。私には仕事が大変でもあり、生き甲斐でもあったからだ。一家との主婦となって不都合だったことは、義姉の性格を知っているので、夫が伝えてくれた。

 ホワイトボードに「ずっと朝食を食べさせていない」と延々と書かれたときには、夫の言葉に対して「何もこっちも悪気があったんじゃないから、婆ちゃんの心配をしているだけやから・・・善意にとってや」と言っていた。先日私たちに内緒で、姑のディ用の鍵をこっそりと持ち去った件については、夫もまた内緒で合い鍵を作られることを察知して行動した。「うちの鍵を黙って持ち出さないで欲しい」義姉は「あれは婆ちゃんの鍵や」「黙って持ち出してなんていない、婆ちゃんに言った」と言い張ったが、主人はすぐに取り返しに行った。前回の時は、姑と結託して合い鍵を作ったのかも知れないが、明らかに、合い鍵を作ったことは内緒にしていたしごまかしていた。今では認知症の姑に言っても姑はすぐに忘れるから、私たちに伝わることはない。言っていたかどうかも分からない。

 しかし、義姉にとっては、今まで何も言わなかった夫が冷蔵庫のことからスタートして、苦情を言うようになったのはずいぶんうっとうしかったのだとおもう。おそらく「もう行かん!」と怒ったのだと思う。過去、そんな義姉の姿をよく見ているから想像がつく。義兄の兄弟のつきあいや、義兄の実家ともそんなことが良くあった。我が家とも時々あったのだが、そこは自分の親子であるし、嫁は下手にでているので、しばらくするとまた来るのが常だった。しかし、今回はどうだろうか。少しは別の家だと分かったのではないかと思っている。あれほど来ていた義姉が、今年度に入ってからは1度も来ていない。

 我が家はどうしようもないときしか姑をショートには預けていない。それでも、夫婦で息子や孫達のところに行くとなると、「婆ちゃんをどうする気? 向こうでなんかあったの?婆ちゃんのおかげでととめちゃんが働けたんだから、もっと婆ちゃんを大事にしないと」という調子だ。姑は家にいる方が楽なのはよく分かるけれど、私も親だから仕方のないときもある。最近はこころのなかでぼそぼそとつぶやくこともある。

 確かに働いているときには姑のお世話になった。でも、一方的に姑のおかげだけとも言えないだろう。家族だから、一緒に生きてきたのだし。まだ薄給の私たち夫婦が全額借金で同居用の家を建てたから、私も働かなければならなかった。舅夫婦からは、一切の補助もなかった。私は自分の息子が家を買ったとき、すでに自分は無給で老後のために蓄えておかなくてはならない私たちの金を、息子夫婦に渡した。親として、少しでも助けてやりたかったからだ。そのとき、はじめてはっとした。義姉が口癖のように言っていた「二人で働いているんだから、お金は心配ないって」という言葉が私たち夫婦の立場を決定していた。

 今となっては、そんなことどうでも良い。姑が年金の通帳を夫に預けて、私は退職して無給になったこともあって、今まですべて夫が支払っていた姑の介護費を姑の年金から下ろすようになった。義姉は、ショートスティで姑を預ける施設にしても立派なところを要求した。最初はホテル並みの高額な個室に預けた。それほど利用回数も少ないからそれでいいが、将来は専業主婦の姑の年金ではまかなえないだろう。かといって、私たちもすぐに年金生活に入ると、不測時に供えて無駄遣いは出来ないので、将来のために今は新設のショートスティ専用の施設を本の時々利用している。義姉も「いつでも見てくれと言っても、こちらにも都合がある」と言われてしまったこともある。ほんの時々で、3月も4月も利用しない次は5月利用予定なのだが、キャンセルの可能性も大きい。しかし、介護について義姉の口出しがなくなったことが、今の私にはとても嬉しい。

 実は今年の仕事を引き受けたのも義姉の存在を意識していたからだった。姑のディの日だけの仕事を引き受けたのは、私が居ないときに義姉が来ても姑も居ないのだ。その代わり、私は自由に自分の時間を過ごす楽しみはないけれど。


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あと1年 [介護]

 夫は定年まで後1年となった。私は退職して7年になったのだが、まだぼちぼちと週3日程度のパートにでている。

 退職したとき、今まで働いている時間がすべて自分の自由時間だと思ったのだが、それは大きな間違いだった。自分の時間はすべて姑の時間となり、外出も自由に出来なくなってしまったのだった。食事は11時から1時まで延々と。一人で昼食をとるのが嫌な子姑もやってきて3人でゆったり・・・・。でもそれまで時間に追われる生活をしていた私は、内心は時間がもったいなくてしょうがなかった。3時になると、話し相手が出来て嬉しい姑は「お茶にしよう」と私を誘った。退職したらあれをやろうこれもやろうと思っていたことに手を付けることも出来なかったし、友人とゆっくり話す時間もなかなかとることが出来なかった。

 私が働いているときに、小姑は姑の鍵を使って内緒で合い鍵を作って我が家に出入りしていたが、仕事をしているときにはそれすら全く気にならなかった。姑の金を自由に使い、我が家の冷蔵庫にいろんな物を入れていたのも知ってはいたが、それも全く気にならなかった。

 私の退職と共に姑はどんどん後退していった。小姑は「ととめが退職したのだから、何もするな。全部してもらえばいいの」と毎日姑に言った。私は夕食の野菜を切るのだけでも手伝ってもらおうと思ったけれど、小姑がしなくて良いと言ったからと姑はしなかった。ポットの中のお湯の量を管理することも頼んだけれど、すぐにその責任も放棄してしまった。

 対立しないことが私の人生のモットーでもあったので、姑や小姑と仲良くやってこられたのはこの時点では幸せだったのだと思う。しかしながら、退職して、自分が女主人としてこの家を仕切ろうとしたとき、延々と続いた姑と小姑が癒着してこの家を回していたことは大きな障害となった。

 夫が冷蔵庫の中を勝手に満タンにするなと言ったり、認知症が進んだので姑の年金通帳が夫に渡ったり、さらには鍵を新しくしたらまたこっそりと合い鍵を作ろうとしたりしたことなどが重なって、小姑はいつしか我が家に来なくなった。それらの苦情はすべて夫が言ってくれたから、おもしろくなかったのだろう。 昨年末にお歳暮を届けた以来ずっとあっていない。

 小姑の苦情から、姑をショートに預けることも遠慮して、なかなか夫婦で孫のところへ出かけられなかったけれど、今では必要とあればショートも利用しているし、小姑には姑を一切預けていない。姑は、ショートにも行きたくないけれど、小姑のところすら宿泊するのは嫌なのだ。夜中に目が空いたときに、いつもと勝手が違うところが不安なのではないかと思う。それを思うと簡単にショートに預けるわけにも行かない。

 しかし、あと1年経てば、また状況は変化するのではないかと思っている。私は今、姑のディサービスの日だけパートに出ていて、あとはべったりと姑といるのだが、夫が退職して、べったりと姑と居ることになったら、何か感じないかなあと思うのだ。40年近くひたすら働いて、やっと定年になったとき、やりたいこともあるのではないかと思う。

 後1年は頑張って在宅介護を頑張ろうと思っている。1年後は、夫が退職すると、また状況が変わるかも知れない。ただ、姑は、ここ最近は本当に何もしなくなったのが加速度を加えてきているのが気になる。

 着替えも自分では一切しない。放っておくと1ヶ月でも同じものを来ているだろう。風呂は何年も前から面倒くさがって入らない。使った紙パンツは、それ用の容器も買ってあげたのだけれど、それに入れずにベッド周りのあちこちに落としている。ゴミの日にそれを出してもらおうと思っても、「ゴミはない」と言って寝ている。薬の包みだって1度も捨てたことはない。トイレの電気は付けっぱなしだし、手洗いの水は時々出しっぱなし。トイレを流さないときもよくある。

 ずっと今まで生きてきた家族だから、私はするけれど、時折疲れることがある。でも、最近は将来の自分もこうなるかも知れないのだと、いつも思う。なんだか今姑の世話をすることが、将来の自分のためになるような気がするのだ。自分で着替えないのは、面倒なだけでなく、もう何を来たらいいのかも分からないからだろう。すべて私に尋ねないと何も出来ない。能力だけでなく、あまりにも自立心がなく依存をしていた結果のような気がする。

 食事の記録をとるだけでも良いと聞いたことがあるから、ノートを渡したけれど、そんな習慣もないのに、今更付けるはずがなかった。私は書く、今の自分の思いをどこかにはき出したくて。良いところも悪いところも、自分の考えを確認したくて。書いた後、消したくなることも良くあるけれど、ある意味、自分を客観的に見ることも出来るから。

 近所に住む姑と同じ歳の一人暮らしの人は認知症になっていない。自分で自分の出来ることはしなくてはならないからじゃないだろうか。いろいろと老後のことを考える最近である。

 なんか、あと1年と考えているうちにとりとめもない話になってしまった。

 


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マイタイム [介護]

 介護と言っても最近は寝ている時間が多くなって来た姑だ。夫に言わせれば「自分でトイレも行くし、後は寝ているだけだから何にも手がかからない」と言われる。確かにそうだ。

 昨日別宅に前泊して毎月のイベントに参加した。24時間、自分だけの時間を過ごすと、いろいろ考える。感謝すべきことのいかに多いことか・・・。日常に埋没していると良くて当たり前悪ければ不満になる。危なかった。

 舅の時は、姑が居ないと手がかかった。10分おきに「しっこ」と言って、私を呼びつけた。働いていた私は日曜日には小姑が姑のリラックスだと言って二人で買いものに出かけ、私が舅の世話をした。夏休みになると時間に余裕があるだろうと、1ヶ月姑は東京の兄妹のところに行って遊んでいた。その間は私が舅の世話となった。隣の部屋に子供と一緒に寝たけれど、夜中に叫ぶと冷や冷やしたものだった。でも、若い私は一生懸命舅のお世話をした。それが、今の私の元なのだ。そして私の乗り越えるべき運命だったのだ。

 姑の場合、1ヶ月間、一歩も外に出ずに着きっきりでトイレの指導をした。一応紙パンツは使用していたものの、トイレに行きたくなったら毎回つきっきりで手足の使い方を教えた。笑顔と励ましと賞賛の中で毎回、繰り返した。1ヶ月後姑は一人でトイレに行った。ちらかってはいたものの、報われた気がした。

 姑がトイレに行けるようになったおかげで、私も夫や小姑にとがめられずに外出が出来るようになった。姑は全く私に依存しているのは大変でもあるが、考えようによっては対立しているよりは良いかも知れない。良いことはいっぱいある。

 何より嬉しいのは、二人の子ども達が順調に育って家庭を持ち、どちらも親になったことだ。世の中捨てたもんじゃないと、しみじみと思う。出来るだけ姑の世話をすることは、私自身のいつか行く道への財産ともなるような気がしている。

 

 


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